「日本の現場をなんとかしたい」 ショートストーリー Vol.1

ひとりで家を建てる目標

ある小雨の日曜日、久しぶりに実家に帰ると愛犬が足にまとわりつく。
視線を上げると築五十年の実家の二部屋だけがモデルルームみたいに改装され装飾されていた。
どこで頼んだのか母に聞くと兄がひとりでしたのだと言う。

兄は、高校を出て12年間電気の仕事をした後、一年勉強をして大工になった。
「電気と大工ができれば、ひとりで家が建てられる」 それが兄の目標だった。
そして工務店の大工となり、やがて戸建住宅の棟梁(監督)になった。
休日に二人で材木を見に行ったり道具店をはしごしている時、
仕事が楽しそうで、たくましい人だと思った。
「いくつもぼわれとる」 (何棟も納期が迫ってる)と言うがまだ余裕があったと思う。
しばらくして、戸建住宅から集合住宅の現場施工を任されることになった頃、
私は兄の手元として半年仕事を手伝った。
床下施工や床貼り後の補修、各部屋のボード貼り、養生、資材の移動など、
特にボード貼りは腕が痺れて毎日クタクタになった。
大抵持ち回りの現場を終えると、別の現場を2、3 件見に行くのが日課になっていて、
施工状況や資材置き場を確認して廻った。
また年配の大工さんの担当現場にいって施工の遅れを手伝い、かわりに段取りまでしていた。
集合住宅を何棟うけていたかわからないが、納期が迫る、人がいないという中で、
心配とストレスを抱えながら仕事をしていた様だった。
やがて体調不良で入院。退院するも兄は第一線で働けなくなっていた。

家庭をもつ男が働けないということは、なかなか深刻な事だった。
住まいを4度移り変わり、その度に引っ越しの手伝いに行った。
「頑張って!また復帰できるわぃ」 と言いたいが、他人事の言葉に思えていつも言えない。
そしてあまり好んで人前には出なくなった。
職人のプライドもあったが、そうなってしまった事を社会や誰かに嘆く事もしない。
そうして「ひとりで家を建てる目標」は困難なものになった。

あれから10年。
実家から帰る車の中、遠くの山を眺めながら、
もしもあんな負担がない仕事環境だったら、
今でも第一線で働けていたかな、兄の10年は変わっていたかなと思った。
すっかり変わった実家の居間を思い出し「ひとりで改装した」 という母の言葉に、
昔のたくましい兄がよみがえった。
雨はとうにあがっていて、橋を越えると山の向こうにちいさな虹が広がっていた。


人手不足、ローコスト化、短納期、仕掛かり棟数の増加、段取り不足…。
今もそんな状況を抱えている監督さんや職人さん、そしてこの状況を
「なんとかしたい」と考えておられるビルダー・工務店様が多いと拝察します。
私は微力ながらITの現場から「建築現場をなんとかしたい。」
と、そう思います。

2017.COMTEX社員 i